【閑話休題】高田の人々とレルヒさん
レルヒ祭のために上越市を訪れた時に、あすとぴあ高田5Fのミュゼ雪小町ギャラリーで開催されていた「レルヒ少佐絵画展」に足を運びました。
日本スキーの父・レルヒ少佐という人は、文武両道に秀でていた上に芸術センスも持ち合わせていたんですねえ。
そこで、帰国後のレルヒ少佐と高田の人々の交流が紹介されていました。
レルヒ少佐の帰国後18年が経過した1930(昭和5)年、「大日本スキー発祥之地」記念碑除幕式がありました。
高田スキー団の人々が閃きます。
「そうだ、レルヒ少佐に今の日本スキーの盛況ぶりを見てもらおう」
早速、副団長さんがレルヒ少佐に連絡を取りますが、レルヒ少佐は第一次世界大戦の戦傷によって退役しており、敗戦国であったために恩給も出ずに経済的に困窮しているので、日本には行けないという返事をしました。
高田スキー団の人々は立ち上がります。困っている恩人を助けたいと思ったのでしょう。見舞金を集めてレルヒ少佐に送金します。
驚いたレルヒ少佐。感謝を伝えたいと思ったレルヒ少佐は高田スキー団に聞きます。「ナニカ贈リタイデス!!ナニガイイデスカ?」と尋ねたかどうかは知りませんが(笑)、その答えに高田スキー団は「水彩画」を希望します。
きっと、高田の人々はレルヒ少佐が描いた絵を覚えていて、元手がそんなにかからないものを選んだのではないかと思うんです。
レルヒ少佐が感謝の気持ちを込めて描いた作品は10点以上。高田スキー団はその水彩画が届くと、配布会を開きました。
レルヒ少佐の絵画は高値がつき、すべて売ると高田スキー団はその売上金をまたレルヒ少佐に送金するのです。
重ね重ね返ってくる高田スキー団の人々の厚意。レルヒ少佐の心にどんな思いが去来したことでしょう。
レルヒ少佐は「高田ハ第二ノ故郷デス」と感激し、お手紙をしたためました。
「高田ニオケル私ノ過去ガ連隊ニオイテ、ソレホド記憶サレテイルノカト思ワレテ、非常ニ心ウレシク感ジマス」
レルヒ少佐が高田で暮らしたのは1年余り。レルヒ少佐にとっても高田の人々にとっても、その1年が濃密なものだったのでしょうね。
素敵だ!!
このエピソードを知って、レルヒ少佐がこのレルヒさんの姿を見たら、怒るどころか面白がるかもしれないなあと思いました (*´∀`*)